管理者の田中です。
支援の現場から感じたことをつづりたいと思います。
人の心に向き合う仕事柄、心を病んでいる方、悩みを抱えている方と多く関わってきました。
今も関わり続けています。
その方たちとの対話の中で多く語られてきた悩みは、「自分を肯定的に捉えられない」「自分は生きている意味があるのか?」という自己に対する否定的な感情です。
禅僧である南直哉さんは、「人生とはそもそもネガティブなもの」と捉え、無理にポジティブになろうとすることがかえって苦しみを生むと警鐘を鳴らしています。ネガティブな感情を否定せず、言葉にして向き合うことこそが、人間らしい生き方だと説いています。 南さんは、そもそも人間は生まれること自体パッシブ(受動的)。自分で生まれたくて生まれたわけじゃない。アクティブ(能動的)にやれなんて無理でしょう、と話しています。
現代社会では、前向きになろう、という風潮がありますが、そもそも人間はネガティブな生き物。その捉えは新鮮でした。
ポジティブ=善、ネガティブ=悪
という構図を一度瓦解させてみることは必要かもしれません。
心の問題と向き合っていると、少しでもポジティブな方向にと考えがちですが、そのネガティブさを掘り下げ、受け入れることがまずは大事なのではないかと感じます。
ではネガティブをどう受け入れていくか?
それは自己の中に溜まって行き場を失っているネガティブな感情をアウトプットすることから始まると思います。自分の感情を言葉にして他者と共有することで、問題の輪郭が見え、気づきが生まれる。SNSのような一方通行の吐露ではなく、対話こそが癒しの第一歩になります。
では、ネガティブを受け入れた先にはポジティブが待っているのか?
「ネガティブを受け入れた先にポジティブが“待っている”」というよりも、「ネガティブを受け入れることで、ポジティブに向かう道が“開かれる”」という表現の方が、より正確かもしれません。
ポジティブは「結果」ではなく「副産物」です。無理にポジティブになろうとする必要はないということです。
ネガティブを受け入れることで、自分の弱さや限界を知り、他者の痛みにも敏感になる。その過程で生まれるのが、優しさ、共感、そして静かな希望。それは「ポジティブになろう」として得られるものではなく、ネガティブを通じて育まれるものなのだと思います。

